本を読むことは読者がその内容を噛み砕き、独自の解釈の もと、自身の経験と照らし合わせながら再編集していくこと ではないだろうか。当然、読み手の立ち位置によって数多く の読みが可能であり、私はそこで否応もなく生まれてしまう 読みの多彩さに興味がある。

作品〈再編/整頓/混沌〉おいて、私は一冊の本を解体し、 それを小さな単位で編集し直す試みを行った。統一されたか たちとして全体が編成されている本は切り取られ、切り取ら れた断片は再び綴じられ、新たな小さな本として編集されて いく。更に、それらの小さな本を収める棚や箱など、部屋の 一角も作り出されていくが、整理・整頓は必ずしもうまく行 かず、残骸のような欠片も発生する。その一連の流れは、日 常私たちが行っている「本を読む」と言う行為についてのひ とつの解釈であると同時に、物語化によって歴史に位置付け られた本の内容を一旦バラバラにし、固定された内容を組み 替えることで、これまでの文脈から解放していく象徴的行為 でもある。

私は再編集の対象として、昭和の高度経済成長期以降、と てもポピュラーであった美術全集『原色日本の美術』の 31 巻・近代日本の洋画を選んだ。油絵科出身である私にとって、 近代洋画の図版は絵を始めた頃にとてもよく見ていた懐か しいものである上、それらの評価や歴史的位置付けも非常に 馴染み深いものだ。自分が絵画に興味を持って以来の関わり があるので、それらのページの雰囲気や匂いはどこか自分の 実家を想起させるものがある。一方、変化する時代の流れの 中、それらの評価も同様に変動し、新たな視点によってこれ までとは異なる位置付けをなされていくことだろう。そもそ も、この全集が一般家庭に数多く置かれていた時代からもは や遠ざかってしまった感がある。近代洋画が「教養」として 一般的に受容されていた時期はほぼ過ぎ去ったとみてよいだ

ろう。多くの古本屋でこの全集が時に束ねられ、山積みにな り、時に一冊づつ、場合によっては屋外のワゴンで驚くほど の安値で販売されている現場を目撃する機会が決して少なく ないことがその証であると言える。作品の構想を温めていた 私はこの本と出会い、108 円で購入した。 制作を始めるにあたり、プリントされた絵画や解説に鋏を 入れることには勇気も必要とされたが、切り取られたことに よって生まれる印刷物の欠片は絵画の部分を纏って美しい輝 きを見せているようにも感じられる。佐伯祐三の勢いのある コントラストの強い看板文字の筆さばきや岸田劉生の粘着質 なテクスチャ、松本竣介の壁的質感のあるブルーグレーや梅 原竜三郎や中村彝の流麗なタッチで表現された肌の質感を 纏った豆本を沢山作っていった。一冊の本の表面積を増大さ せ、複雑にし、新たな構造体へと編み変えながら噛み砕いて いく行為に没頭した。分解と製本は着々と進み、それらを収 納する箱や棚、家具なども実際に自分が持っているものをモ デルにして作っていった。その結果、細部が乱雑に積み重な る混沌とした様相が作り出されたが、それは日常の中で本や 文書・資料などが増え続け、処理しきれていない結果散乱し ている自分の部屋の状況に非常によく似ている。

近代絵画から出発した自分の創作の現時点でのアンヴィバ レントで混乱した状態を表しているという点において、この 本から生み出された小さな部屋は私の自画像と捉えることも できるだろう。 

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